事故による予期せぬ緊急事態!美容室経営に保険が必要?

第三話 3年目も順調♪かと思いきや・・・・・・予期せぬ緊急事態!と、予定納税の落とし穴!

美容室ビーアンビシャスは3年目を迎え、月に客数150人~、売り上げはだいたい100万前後をキープしていた。前年は総売り上げ1000万を超えたので、来年は消費税納付が始まるが今年はまだない。税理士には「消費税支払い用口座作っておいてくださいね。」と言われていたが、ついつい面倒で先延ばしにしていた。「まあ、口座に常に100万以上あるし大丈夫だ」と思っていた。

 すっかり経営にも慣れた柳井は、ここで雇われ美容師時代に買った四菱の中古ミニバンを手放し、トヨハラ製の最高級SUVのランドコマンダーを買った。「これで仕事も頑張れるな!」と自分に言い聞かせた。

 そして相も変わらず、ご褒美名目の酒飲みも週に3,4回行っていた。
 
 このころ、日中の営業中に損害保険会社の営業が来て、事業主様が何かあったときの為にと、休業補償や賠償保険の案内をされたが、お客様への賠償保険は美容組合のほうで格安な保険入っているし、休業補償もまだ20代だしいきなり入院するような病気するとか大怪我とかしないよなぁ……まあ大丈夫だろう! と大した気にもせずパンフレットを奥にしまい込んだ。

 3年目はまさに順調であった。紹介でとホームページやブログで月に10~15人ほど新規が来ているし、経営余裕だな! と、調子こいていた。

 そんな絶頂の時に、美容の神はその調子こいた鼻っ面をへし折るどころか根元からえぐり取るような試練を柳井に与えた。

 すすきので、柳井は歩行中に交通事故にあう。飲みに行くか! と交わした友人との待ち合わせで、仕事が遅れかなり待たせてしまい焦っていた柳井は、幹線道路の赤信号の横断歩道で一度止まるが、待つのがもどかしくなった。
 道路を見ると100m以上離れたところに自動車のライトが見えたが、その日は交通量が少なく、柳井は「行っちまえ」と歩き出す‼
 
 しかし、わずか4秒弱の間にヘッドライトは目の前に迫っていた。時速100㎞の車が100m進むのに3.6秒。
「この車、速っ‼」そう思った。

 周りの情景は闇と唯一ヘッドライトの光が見えクラクションが聞こえるスローモーションになる。
 衝撃は覚えていない・・・・・・

 気が付くと柳井は道路の路側帯に仰向けで転がっていた。下半身がすっぽり消し飛んだかのように感じて手を動かす。すると右手の小指の手の甲がわ根元付近がパックリと裂け、鮮血の血肉と白い骨が見えていた。しかし痛みはない・・・・・・左手は無事だった。左手で下半身があるであろう場所をまさぐる。あった! 下半身はあった。
 それが判ったからか、その瞬間熱湯に浸かっている様な灼熱の熱さを下半身に感じた。そして下半身はまるで魚の開きにされたように太腿が通常あり得ない角度で180度開いている。車がハザードつけて後続車を止めたり、通行人が駆け寄って後続の車を手で合図して交通整理したり、「今救急車きますよ! 動かないほうがいい!」と励ましてくれる。しかし、何かしゃべろうにも、口内の出血と顎が変形しゴボッという音しか発せない。左の下の歯があるはずの場所に大きな隙間が出来ていて口から鮮血がだらだらと流れる。救急車のサイレンがすぐ間近に聞こえる。
 しかし、痛みは不思議と無い。ただただ、体内に熱湯を注ぎこまれたような灼熱の感覚以外は・・・・・・
「重度の大怪我をすると脳内麻酔が出て、逆に痛みを感じなくする・・・・・・」柳井はどこかで読んだことのある記憶を思い出した。
 救急車の中で意識ははっきりしていた。これはとんでもないことになった・・・・・・明日以降の予約のお客様どうしよう等考えていた。その瞬間、人生で経験したことのない強烈な激痛が襲い記憶はぷっつりと消える。

 次に目が覚めたのは、翌日の昼だった。かなりの時間救命救急で応急処置をしたとの事だった。しかし、この事故のニュースで報道されていた車の速度の割には、骨折は骨盤開放骨折と左下顎骨折のみで、頭部も無事で内臓も膀胱破裂と尿路切断だけだった。
 お医者様が言うには、骨折の部位的に、恐らくぶつかる瞬間に少しでも避けようと高跳びの背面飛びのような姿勢で飛んでから衝突したのではないかとの事だった。
 記憶にはないが、高校時代陸上部だったので、専門は投擲競技だったが、よく遊びで高跳びを飛んでいて、たしか175cmとか飛んでいたはずだと思いだした。
 全治は車いすから初めて、まず3~4カ月。そのあと松葉づえで2~3カ月と言われ、お店は廃業だなと思った。
 夫婦でやっていたが奥さんはスタイリストは出来ない。他にスタッフがいないから働けないイコール収入が断ち切られる個人事業主だ。今の100万ほどの口座残高じゃ生活費だけでも、もって4カ月。さらに、休業中もかかる店の固定費を考えると3カ月だろう。そこから、復帰しても以前と同じような客数こなしての立ち仕事など出来るわけがない・・・・・・幸いまだ29才・・・・・・何かしらの仕事で転職できるだろう。そう思った。

 しかし、何日かたった頃、元町店や美園店の後輩が見舞いに来てくれて、「ユキさんのお客様めっちゃ髪切りに来てくれてますよ。皆さん復帰まで待ってます」と言っていると聞いた。エアイング時代、柳井幸喜は客数をこなすため自身はカットに集中しアシスタントにカット以外のほとんどの技術を任せることが多く、それが逆に功を奏し柳井のお客様はすっかり後輩とも信頼関係が出来ていたので、独立前からのお客様はほとんど後輩のところへ行ってくれていた。

 そこから、車いす、松葉づえ時代を経て、立つのもやっとの足の筋肉低下(体重が75㎏から筋肉低下で57㎏まで落ちていた)から怒涛の筋肉回復のリハビリや股関節の可動域を元に戻す激痛のリハビリを経て、驚異的回復で3カ月で50m位なら歩けるように回復。

 なんと、3か月半で退院し復帰したのだった。
 しかし、1日は無理なのでしばらくは10時から14時営業、慣れてきたら営業時間を伸ばしていった。

 しかし、1日のこなせる客数は半減。そしてこの一連の休業期間で貯金は底をつき、借金からの再スタートだった。
 
 復帰後3カ月は体が限界で売上、客数ともに3分の2ほどに減り、奥さんは専従者だが子供がまだ三人とも手がかかり、17時上がりで日曜日休み。正直、一人営業は体がきつい。柳井はフルタイムで働いてくれるアシスタントの子が欲しいなと考えるようになった。

 独立前のエアイング時代に教育部に所属し後輩教育にとてもやりがいを感じていた柳井は、人を育てないことによる美容師としてのモチベーション低下や今後の店の雰囲気のマンネリ化を事故前から懸念していたが、なかなか夫婦二人の気楽さから抜け出せなかった。

 しかしこの事故を経て改めて後輩の助けや励ましを感じた柳井は、今回は本気だった。

 そこで、求人をかけることにする。求人は安そうなクリック課金型のサイトにしてみた。しかしクリックされるばかりで料金だけかかり、やめようかと思ったが担当者のアドバイスで上位表示されるように逆に予算を上げてみた。
 するとすぐに一人求人問い合わせが来た。しかし、面接の結果、チャラ派手過ぎる系統の服装なのとすぐスタイリストなりたいという希望で、うちの店には合わないと判断し見送ることにした。

 しかし、ここでタイミングよく長年担当しているお客様の親戚の子が美容師で、最近やめて次の就職先を探しているという話が舞い込んできた。

 現在のところ事故後は、月の売上が60万から70万に落ちたが、もし3人体制なら生産性45万として135万ほど欲しい。今の店の単価は5500~6000円程、ここで柳井は初めて、札幌の地域店だからあまり高くできないしと、安易に周りの美容室の相場に合わせた開業時の料金設定が失敗だったと感じた。
 70万から135万に上げるには、6000円単価でも90人以上新規が必要になることになる。到底もう一人雇用なんて無理だ。
 柳井は単価より客数こなして稼ぐタイプだったのだが、事故後の体力・筋力低下で、まだそんなに詰め込んで客数はこなせない。客数単価を上げる大事さが身にしみてわかった。
 
 柳井は断るつもりで、その子の面接を行う。薄谷美江(うすやみえ)というまだアシスタントだが、非常に好印象な子であった。
直感で、この子はいいスタイリストになる! 柳井は感じた。
 断るつもりが、すぐに採用を決めてしまった。こんなよさげな子はいない! すぐに新人の子の雇用保険や労災保険の手続きを迅速に済ませる。
 
 奥さんには、人を育てたいからと頭を下げ、一回違う職種でパートに出てもらう事にした・・・・・・
 その矢先に、今度は所得税の予定納税が来た。前年の利益がかなり出ている為である。この時は無知で減額制度を知らなかったので、きついが払った。
 
 3年目は絶頂からの転落で、開店以来最低の売上で800万以下となったが、厳しい経営状態かつてエアイングで共に切磋琢磨し、今は大通りで独立している後輩田中健(第一話参照)からの提案で、のちに美容室ビーアンビシャスの単価を大幅に向上させるきっかけとなる出来事があった・・・・・・